今朝の新聞に弥彦小学校での出前授業の様子を載せていただきました。
子どもたちの笑顔は言うまでもありませんが、恩師との再会、校門前でのサイン会、お土産の弥彦饅頭・・・
とても良い思い出となりました(^^)/
16年ほど前から小中学校を中心に「笑いを使ったコミュニケー
ション」という題材でおじゃまするようになり、昔は「学校に来る
な、来るな」と言われていた僕も、今では「来てください」と言わ
れるようになった。
訪問数も1300校を超え、お笑い教師同盟の関係では成蹊大学
や早稲田大学の教壇にも立たせていただいた。高卒で最終学歴が自
動車学校の僕がまさか大学で講義を…。もはやそのこと自体がお笑
いだ。
また、最近では何を血迷ったか、地元メディアで8本あったレギ
ュラーをすべて捨てて、2009年から延べ2年半ほど、バッグパック
を背負って地球一周してきた経験もあるので、そういった部分を生
かした講演も行っている。
以前、江頭2:50さんが「なぜいつもそんなに全力なんですか
?」と聞かれ「見てる人も俺もいつ死ぬかわからない。視聴者が最
後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ!」と話され
ていた。
僕はこの言葉を海外で幾度と思い返した。長期に渡って特定の住
所を持たない生活を送っていたため、何かにつけ次回という機会が
保証されづらく、一期一会の連続だった。
新潟で身に付けた、時間をかけて徐々に打ち解けていく“越後一
会”スタイルは通用せず、「次に会ったとき話せばいいや」と思っ
ていたら、そのまま音信不通になったり、「最後に食べよう」と取
っておいたら、隣にいたスペイン人に横取りされたりということも
多々あった。
そもそも、話したり書いたりすることを生業としていた僕が、一
番の武器である日本語を奪われたら一体どうやって戦うのだろう…。
自分でも想像し難いそんな姿を見てみたいという一種のM心が海外
行きを選択した一つの理由だ。
不愛想で人見知りな僕は、身振り手振り、顔の表情で必死に心の
コミュニケーションを繰り返した。言葉を失ったことで、他の手段
を手に入れたのだ。それらは表現者としてのそれまでの僕の弱点を
補うことになった。
オーストラリアでも現地の子どもたちが日本語を勉強するために
通っている学校に伺い、何度かお笑い授業を行った。
印象的だったのがことわざクイズ。「腐っても○○」「二階から
○○」「目の上の○○」「馬の耳に○○」といった虫食い形式で出
題したのだが、個性的な回答が出揃った。「腐っても‐No worry(
大丈夫)」「二階から‐jump(飛び降りる)」「目の上の‐eyebrow(
眉毛)」「馬の耳に‐pierced(ピアス)」。どれも意味を加えれば新
しい言葉として採用できそうな秀作揃いだ。
ちなみに海外にもことわざ的なものはあるらしい。イギリスの「
友と葡萄は古いほど良い」とか、アメリカの「ウェディングケーキ
はこの世で最も危険な食べ物である」等々それぞれお国柄が出てい
ておもしろい。
また、表現こそ違うものの日本と似ているものでいえば「黒くな
った鍋、黒くなったヤカン」(目くそ鼻くそ)、「リンゴを磨く」
(ゴマをする)といったものもある。
帰国後、日本の中学校でもことわざクイズをやってみた。「かわ
いい子には‐えこひいき」「ゲイは身を‐男に捧げる」「苦しい時
の‐消費者金融」…嬉しいやら悲しいやら新潟の子どもたちも決し
て負けていなかった。
不安になって後輩芸人たちにも試したところ「○が熱くなった。
○が焼ける。○を焦がす」共通して入る言葉は?という問題に対し