新潟日報サンクスデー 橋上監督のユニフォームで始球式

付き人久子さんが高橋なんぐTwitterを頑張ってくれてるので、ついついこちらをお留守にしてました。(Twitterには動画もあがってます)

この日は急きょ告げられた始球式。

公式の球すら初めて触った。

「服装はどうするの??」

アルビBCの池田社長から「橋上監督のがあります!」

恐れ多いよ・・・(笑)

なんだかんだで橋上監督のユニフォームに金曜天国のキャップでマウンドへ・・・

とりあえずロジン・・・

入念にロジン・・・

バッターえちゴンからクレーム!!

反省してる・・・??

追いロジン・・・(笑)

ライブ中継の解説の方からもお褒めの言葉をいただきました。

肩はあったまってなかったけど、会場はあったまった・・・(笑)

新潟日報の朝刊にも掲載していただきました!

高橋なんぐについての江口代表のメモ

高橋なんぐ。

1996年.地元タウン誌や新聞などに、「第一回新潟素人お笑いコンテスト」の募集を掛けた。

ネ暗で引っ込み思案の気質の新潟県民。人前でお笑いをやる人が集まるのか。しかも、審査員が爆笑問題である。みんなビビって誰も参加しないのでは?

そんな不安をよそに、タウン誌発売日に出場申し込みあった。真っ先に電話を掛けてきたのが高橋なんぐである。

1997年2月23日のコンテストの前に、東京ドームで行われた吉本興業主催のお笑いコンテストに高橋なんぐはピンで出場し見事優勝。賞金100万円とテレビ番組出演権を手にした。まだ高橋なんぐが高校一年生の時である。

第一回新潟素人お笑いコンテストでは優勝は逃したものの爆笑問題の特別賞をもらい、「新しい笑いだ」と高評価だった。吉本興業からも高校を卒業したら来ないかと誘われていたにもかかわらず、高校三年生の進路相談のとき、就職希望欄にNAMARAと記入したらしい。

中学の同級生である中静祐介とのコンビ「ヤングキャベツ」は、卒業と同時に仕事が舞い込み、テレビ、ラジオのレギュラーから雑誌、新聞の連載と売れに売れていた頃、突然、海外へ行くと言い出した。それも一週間や二週間ならまだしも、二年間も日本を離れたのである。

ところでなぜレギュラーすべてを捨ててまで海外なのか。高橋なんぐにすれば、十代から二十代半ばまで順調すぎるほど順調で、事務所や取引先が用意してくれた場所で過ごす中で、まわりがおぜん立てする環境だけでなく、自分ひとり生きていく力を付けないと、ただ消費されるだけの存在になってしまう。そんな危機感を抱きながら単身で世界一周の旅に出かけた。

世界一周の旅のネタが仕事になるほど、様々な経験をして、新潟に戻ってきた。高橋なんぐは現在、BSNラジオ「高橋なんぐの金曜天国」が大変好評で、共犯者といわれるリスナーと一緒にラジオをつくっている。

世界一周して気付いたことは、自分ひとりで生きていく力を手に入れようとして出かけたが、自分ひとりだけでは生きていけないことだった。共犯者がいるから生きていける。その気づきがラジオの評判につながっているのだろう。

高橋なんぐがライフワークしてやっている仕事がある。それが「お笑い授業」主に小、中学校に延べ1500校へ行き、様々なお題をもらって、そのテーマに合わせて授業をしている。いじめ、人権、SNS、コミュニケーション、世界一周、環境問題、食育、仕事、お金、男女共同参画・・・・多種多様。生徒に語り掛けながら、教師や親御さんも視野に入れて、一方的な講演ではなく、笑いを取り入れた参加型の授業は県外からも評価され、いまでは全国区。

そんな高橋なんぐによる「新しい笑いのカタチ」は、世界一周して来たグローバルな視点と地元を愛するローカルな視点が交差する「グローカルな授業」をお届けします。これは、違いを一旦は受け入れることでもあります。

環境や文化や時代が違うだけでコミュニケーションが取れなくなったりします。日本の常識と世界の常識が違うように、人それぞれの常識も違うものです。自分自身の視点を持ちながら、俯瞰した客観的な視点も持ち、他者や他国の常識を一旦は受け入れる。そうすることで、自分の視点だけで生きているわけではないと気付くかも知れません。

8/21(土) アルビBC「新潟日報サンクスデー2021」

8月21日(土)に柏崎市佐藤池野球場で行われる新潟アルビレックスvs群馬ダイヤモンドペガサス戦にお声がけいただきました。

なんとなく寧々ちゃんも入れてみました(笑)


先日、日本海ドームプロジェクトでササダンゴの食べ方について語り合ったまっしーと今回は何をするのでしょうか・・・